親戚がみんな有名大学・有名企業・・・の場合
1年に1度、正月に親戚同士の集まりがある。
そこで、○○ちゃんはどこの大学に入った、△△さんはどこの会社に就職した~
と言って、「よかった、よかった・・・」という話になる。
そんな「親戚環境」の中、自分は大学には行かないとか、行ったとしても偏差値の低い大学に行くことになった・・・という場合、果たして「よかった、よかった・・・」となるか?
多分、ならない・・・
でも、自分のことは、年に1度しか会わない親戚よりも、この自分の方がよっぽどよく分かっている。
自分が得意なものが何で、何をすると周りの人から評価されやすいのかも分かっている。
その道に進んでいくためには、有名大学なんて行って、有名企業になんて就職している暇はない。
よく、
「とりあえずは(有名)大学に行っていれば・・・」とか、
「大企業に就職するチャンスがあるなら、とりあえず大企業に・・・」
なんて具合に、大学信仰、大企業信仰というのが根強くある。
ただ、それが全ての人に当てはまるわけではないし、
大学はまだしも、大企業なんてところには、およそ適応できないタイプの人間もいるわけで、
自分がその「適応できない系」の人間の場合、20代前半という成長期を完全に無駄に過ごすことになり、挙句、「やっぱり、自分にあった道に進もう」と思っても、とてつもない「遅れ」の下でのスタートになるかもしれない。
それどころか、道によっては、「手遅れ」ということで、にっちもさっちも行かないことになる・・・
本来は、親が「とりあえず大学」「チャンスだから大企業」という方向に子を誘導しなければ良かったのだろうが、
「ウチの子は大学には行かない」とか、「有名企業になんて就職しない」というスタンスが取れない理由の一つが、「親戚の目」にあったるするのではないだろうか?